枕草子 村上の先帝の御時に
で、定子様、 「 村上天皇 の時代に、宣耀殿の女御という方がいらっしゃったんだけど、彼女が小一条の左の大臣殿( 藤原師尹 )の娘であることを知らない者はいなかったのですね。まだ入内される前、即ち姫君でいらっしゃった時、お父様がお教えになったのが、『一つには書を習いなさい。次に、琴(きん)の御琴を誰よりも上手に弾けるようにしなさい。そして、 古今和歌集 の二十巻を全部暗唱するのをお勉強にしなさい』と、おしゃったそうなの。 と、そのことを村上帝がお聞きになって、物忌の日に、 古今和歌集 を持って女御のところにお渡りになったのね。 御几帳を間に置いて隔てられたから、女御はいつもと違って怪しい、って思われたんだけど、和歌集をお開きになって『その月のその時に、その人が詠んだ歌は何だ』とご質問されたから、そういうことか!って理解なさったのはさすがで、でも、間違って覚えてたり、忘れちゃったりもしてるだろうから、大変なことになっちゃう、ってどうしようもないくらいドキドキしちゃったんです。 和歌が苦手じゃない、どっちかっていうと得意な女房を2、3人呼び寄せて、 碁石 を置いて勝ち負けの数をお数えになって、帝が女御に歌を言わせなさるご様子、なんて素敵な光景だったことでしょう! 御前にお仕えしてただけの人でも、ほんとに羨ましいことですわね。 帝が強引に言わせようとなさっても、女御様は利口ぶって歌の最後まで言う、なんてことはなさらないんだけど、全然ちっとも間違うことはなかったんですって。で、なんとかしてちょっとでもミスを見つけて終わりにしちゃおう!って、憎々しいくらいに帝がお思いになってらっしゃるうちに、(なんと!
枕草子 村上の先帝の御時に
前の帝、 村上天皇 の御代に、雪がたくさん降ったのを器にお盛りになって、 梅の花 を挿して、月がすごく明るかったんだけど、「これをテーマに歌を詠んでみて。どんな風に表現するかな?」って、兵衛の蔵人にお題を下されたんだけど、「雪月花の時」って申し上げたら、すごくお褒めになられたの。「歌なんかを詠むっていうのは、ごくごく当たり前のことだけど。こんな時にぴったりなことって、なかなか言えないものなんだよね」って、おっしゃったって。 で、同じ人(兵衛の蔵人)をお供にして、殿上の間に人々が参上してなかった時、うろうろ歩き回られてたら、炭櫃(すびつ)から煙が立ち上ってたもんだから、「あれは何なのか見てきて」って仰せつかったので、見て戻ってきて、 わたつ海のおきにこがるる物見れば あまの釣りしてかへるなりけり って申し上げたのは、いかしてたわ! 蛙が飛び込んで焼けてたんだから!
枕草子 村上の先帝の御時に 問題
村上の先帝の御時に 村上の先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器に盛らせ給ひて、梅の花をさして、月のいとあかきに、 「これに歌よめ。いかがいふべき」 と、兵衛の蔵人に給はせたりければ、 「雪月花の時」 と奏したりけるこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。 「歌などよむは世の常なり。かくをりにあひたることなむいひがたき」 とぞ、仰せられける。 同じ人を御供にて、殿上に人さぶらはざりけるほど、たたずませ給ひけるに、火櫃(ひびつ)に煙の立ちければ、 「かれは何ぞと見よ」 と仰せられければ、みてかへりまゐりて、 わたつうみの沖にこがるる物みれば、あまの釣(つち)してかへるなりけり と奏しけるこそをかしけれ。蛙の飛び入りて焼くるなりけり。
枕草子 村上の先帝の御時に 現代語訳
枕草子の「村上の先帝の御時に」について質問です。 帝が、「雪・月・花の時」と答えた兵衛の蔵人を褒めた理由を2点教えてください。 ベストアンサー このベストアンサーは投票で選ばれました 文では村上天皇と蔵人兵衛との会話に由来します。 ① 雪の積もった日に梅の花を飾った月夜のその場面で、御門の歌を詠めとの御下問への答えで、わざと和歌にしなかったこと(その場に合わせた歌を創作しなかったこと) ② 和歌にしなかったことで示した白居易の白氏文集に載る「寄殷協律」の漢詩について、周囲にその知識をむきつけにしなかったこと その他の回答(1件) これ、以前にも質問があって再掲してるよね。2点というのは「雪月花の時」と、もうひとつの出来事を知りたいのかな、と判断します。 火鉢から煙が出ているのを、「かれは何ぞとみよ」といって、兵衛の蔵人が「蛙が焦げて煙が出ている」様子を「わたつ海の---」と、藤原輔相(すけみ)集に載っている和歌で答えた、ことが面白い。
枕草子 村上の先帝の御時に 品詞
家柄もいいし、超上流階級なんですけどねえ。 たしかに 中宮 =皇后に比べると、身分は低いんでしょう。ただ、女御は皇后の候補でもあったわけですし。けど身分的に更衣よりは上です。まあ、私の知識くらいでは何がよくて何が下なのか、そのランクの違いの根拠も度合もよくわかりません。「 源氏物語 」の冒頭でも「いずれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひける中に」というフレーズがあったとおり、皇妃はいっぱいいたんでしょう、それくらいしかわかんないです。けど、ここでの話しの流れからすると、「女御みたいに、にせもの=卑しい人でも風流だったんだよねぇ、素敵だよねぇ」としか聞こえないです。 見下してるのか?褒めてるのか?これ? 私の解釈が間違っているのでしょうか。 いずれにしても、この段ですが、何せ長いです。疲れました。 プライベートでいろいろあって、忙しかったということもありますが、「清涼殿の 丑寅 の隅の」の三つの記事におおよそ2カ月かかってますからね。 さて本題の感想です。 この部分はほとんどが 中宮 ・定子様の語りです。 村上天皇 というのは先に出てきた 円融天皇 の父ですね。今の 天皇 ( 一条天皇 )からすると、祖父と言うことです。宣耀殿の女御というのは、本名・藤原芳子という方だそうです。こんな名前の人、現代でもそのへんに普通にいてそうです。すみません、失礼ですね。 が、この芳子という女御、 村上天皇 の皇后・藤原安子という人だったらしいですが、この安子に嫉妬されたらしいです。芳子はずいぶん美人で、ここにも出てきたように 古今和歌集 を暗唱できる才媛だったというので、 天皇 のお気に入りだったと。この二人、実は従姉妹だったそうです。 天皇 が芳子の元に通われた時、安子がなんか投げつけたとか、というような話が、「 大鏡 」に載ってるらしいです。興味のある方は、そちらのほうもぜひ読んでみてください。 さておき。まあ、この段では、定子様も 清少納言 も 天皇 とか皇妃とかを褒めておけばオッケー的な感じってないですか?
質問日時: 2007/09/01 17:19 回答数: 1 件 の「村上の御時に~・・・」というところの訳を御願いします。 No. 1 回答者: Kindon98 回答日時: 2007/09/01 17:29 >村上の御時、雪のいと高う降りたるを ですよね。 「村上天皇の御治世に、雪がたいそう降ったのを・・」というだけでは。 … この回答への補足 不足ですみません。 「村上の御時に、宣耀殿の~・・・」 から「めでたくぞおぼゆる」です。 中途半端ですみません。 補足日時:2007/09/02 10:20 0 件 お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて! gooで質問しましょう!
公開日: 2016/05/10 / 更新日: 2016/05/30 東京都府中市の大学受験プロ家庭教師『逆転合格メーカー』のコシャリです。 いつも独学受験.