慈悲と修羅 業田良家
今話題の、バンクシー作品を描いたもの。小池百合子さん、VRでも見てますか! ファンタジックな森。ここまで描けるのはすごい!
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」 「私は自分の能力が罪だと感じたことがありません。自分の頭脳に罪悪感を覚えたことがない。人間であることに罪悪感を覚えたことがないのです。私は身に覚えのない罪を受け入れなかったし、したがって自由に自分自身の価値を高め、知ることができた。 これはエデンの園でりんごを食べ知性を得た人間を滅ぼそうとするヤハウェの事ではないかと思います。そして『原罪』の否定です。 自己の生存手段を悪とみなす生物が生存しつづけることはまずない。自分の根を切り刻もうとする植物や、おのれの翼を折ろうともがく鳥は、みずから侮辱した存在を長らえさせることはできない。だが人間の歴史は知性を否定し、破壊しようとする闘争だった。 これもまた聖書の否定だと私には思えるのです。 他人の祭壇の上での屠殺を求める生贄の役割を理想とする教義は、死を基準としている。現実の恩恵と生命の本質によって、人間は──すべての人間はそれ自身が目的であり、自分のために存在し、自分自身の幸福に到達することが最高の道義目的なのだ。 人は罪を背負って生まれてなんかいませんよね! 意図のない罪を認めることは道徳への侮辱であり、不遜な名辞の矛盾である。選択する可能性のないものは道徳の領域の外にあるからだ。人間が罪を背負って生まれてくるならば、人には意思も、その性を変える力もない。意思がなければ善も悪もない。ロボットに道徳観念はないからである。選択の余地のない事実を罪と考えるのは道徳を愚弄することだ。人間の性質を罪と考えるのは自然を愚弄することだ。生まれる前に犯した罪のために人を罰するのは正義を愚弄することだ。無実でありようがない事柄において人の罪をとがめるのは理性を愚弄することだ。 諸君の教師が原罪と呼ぶ罪の本質は何だろうか? かれらが完全とみなす状態から堕落したときに人の性となった悪とは何だろうか?
【朝日新聞】チベット亡命政府の新首相インタビュー「中国がチベットの言語や文化を消滅させる」 [みの★]
【マンガでわかる】 中国の正体 【閲覧注意】 【※閲覧注意です】『慈悲と修羅』 業田良家 季刊誌「わしズム」VOL. 23掲載架空の国「大華共和国」に於けるある少数民族の弾圧と大華民族の思想の根幹を描く漫画。※「大華共和国」は、人口60億人の大国だ 2016年7月8日 [ブログ] 青と緑の稜線さん
sicさん、ROCK STAKK RECORDSさん等で話題になりました😄