カプリチョーザ トマト と ニンニク の スパゲティ ブログ
3世代で通うファンも トマトとニンニクのスパゲティ 創業者・ 本多征昭(まさあき)氏は1968年イタリア・ローマにある「エナルク」(国立職業訓練学校)に入学し、卒業した。 帰国後の1978年、本多氏が渋谷にオープンしたイタリア料理店が 「カプリチョーザ」。以来40年以上、不動のヒットメニュー 「トマトとニンニクのスパゲティ」について、本多氏の一人娘、理奈さんに聞いた。 1978年当時、何故、「トマトとニンニクのスパゲティ」を作ろうと思ったのでしょうか? 本多理奈 父は1970年の大阪万国博覧会イタリア館レストラン・カフェ部門のシェフとして関わり、そこでイタリアの味に対する日本人の味覚に触れたと思います。当時、イタリア料理といえばナポリタンくらいしかなかった時代です。父は大衆食堂を目指しており、そこでシンプルなもの、原価の安いものを考えた結果、トマトとニンニクを使おうと思ったようです。当時のメニューにはナスとほうれん草のミートソーススパゲティ、カルボナーラ、ペスカトーレ、ビーゴリなどもありましたが、シンプルながらもパンチの効いた「トマトとニンニクのスパゲティ」は、他では食べられないクセになるソースがお客様に支持されました。実はホールトマトの缶詰はイタリア産で高価だったので、缶が凹んだものなどを使って原価を抑える工夫をしていました。 パスタはどのようなものを使っていましたか? 本多 創業時は『マルタリアーティ』という銘柄を使用していましたが、現在では輸入されていません。父は表面がつるんとしたものが好みだったそうです。現在も表面がつるんとした1. トマトとニンニクのスパゲティ♪ ~カプリチョーザの人気メニューを再現!~ - クッキングSパパのキッチン | クックパッドブログ. 7~1. 8㎜のスパゲティを使っています。創業時はペンネ、リガトーニ、リングイーネ、フェットチーネ、手打ちのラザニア、カボチャのニョッキなども提供していました。 本多氏直伝のトマトソース作りで大切なこととは?
トマトとニンニクのスパゲティ♪ ~カプリチョーザの人気メニューを再現!~ - クッキングSパパのキッチン | クックパッドブログ
今日は 3連休の中日だったので、ニンニクが大量な料理を食べてご満悦状態になりたかった。 私はニンニクが大好きだが、毎日のように来客がある仕事をしているため、なかなか平日はニンニクを食べることができない。 そのため、 金曜の夜や土曜夜はニンニクを大量に食べることが多い のである。 (友人がほとんどいないので土日は人に会うことも少なく、ニンニク大量摂取も余裕なのだ。) そんなとき、嫁おすすめのニンニク料理があった。 外食になってしまうが、 カプリチョーザ の 「トマトとニンニクのスパゲティ」 だ。 嫁からはとんでもないニンニク と言われていた。 が、私は半信半疑だった。 なぜならば、そこまでのニンニクを投入したら、ビジネスマンのランチ需要をすべて逃してしまうではないか。 そうしたら、昼には暇を持て余したマダムだけが カプリチョーザ の客、ということになってしまう。 それでは儲からないだろう・・・と。 そう、今日、「トマトとニンニクのスパゲティ」を食べるまではそう思っていたのだ。 話は変わるが、以前テレビで「麺チェーン店総選挙」というのをやっていた。 その1位はブースで食べる豚骨ラーメン屋「 一蘭 」だったが、7位に カプリチョーザ の トマトとニンニクのスパゲティ が入っており、そのときから 「ニンニクを全面に押し出している!
5かけ、アンチョビ(少々)、白ワイン(少々)あたりかと思った。トマトは、トマト缶ではここまで酸味が少ないものを食べたことがなく、砂糖で酸味を抑えているか、 カプリチョーザ がそういったものを 仕入れ ているのでは、と思った。 いずれ外食で旨かった食べ物ランキングを作って遊ぼうとは思っているが、これは結構いい線をいくと思った。 ただ コスパ は残念ながら950円もする、ということもあり二郎などの大盛ラーメンには及ばない。 「渡り蟹のトマトクリームスパゲティ」 実はこっちはトマトニンニクよりももっとおいしかった。 あれ、チェーンでこんな旨いの出すの?