失うものがない人間
どうすれば無敵の人がいなくなるか? 映画『ジョーカー』 何も失うものがない「無敵の人」を生むのは社会である。今の日本に生きる私たちはアーサーとさして変わらない - Past Orange. 無敵の人にとって多少の犯罪の厳罰化は意味がありません。 背負うものがないがゆえ、多少の罰よりも目先の欲求を優先するからです。 それゆえ、もし厳罰化を行うのなら並大抵ではない厳罰化が必要です。 それこそ、 罪を償うためには拷問に近い苦痛が与えられ、且つその苦痛が容易に頭に浮かぶ程度まで周知されておく必要があります。 無敵の人にとって懲役や死刑は苦ではありません。 むしろ、彼らにとってはある種の解放になってしまうでしょう。 それはイスラム原理主義のテロリストが、聖戦で死ねば死後の世界で酒池肉林の生活が待っていると自爆する心理と似ています。 死は苦ではなく解放。 その心理をどうにかしない限り意味がありません。 現代の死刑に対しても、一瞬で逝けるイメージがついてしまっているのはとても危険です。 どうせ死刑になるのなら派手にやってしまおう、死ぬのは一瞬だし恐くない そんな輩が出てきても不思議ではないからです。 しかし仮に、死刑が拷問に近い形で行われそれが公開されていたとしたらどうでしょう? 私は少しの抑止力にはなると思います。 犯罪者の人権? 極論を言えばそんなものはいらないのです。 すべての人の人権を守ろうとすればするほど一部の人の人権は無視されていきます 現代社会で言えば犯罪の被害者の人権が尊重されるあまり、被害者の人権がないがしろにされているケースが目立ちます。 加害者の人権は声高々に叫ばれ続ける反面、被害者は泣き寝入りの世の中です。 その結果、無敵の人なるものを生んでしまうのです。 犯罪者の人権を尊重するあまり、無敵になる人が生まれるのです。 それならばいっそ、人権を守るに値しない人からは人権を排除して、全体のバランスを取った方がまだマシです。 このまま格差社会が進んでいきますと、ますます無敵の人が増え続け、善良な一般人が理不尽に被害を被ることになります。 これは確実です。 そうなってからでは確実に手遅れです。 無敵の人が増え続けると、もはや抑えることも難しくなるでしょう。 無敵の人が少数派の今のうちに、確実に芽をつぶしておかなければいけません。 本当は無敵の人が生まれてないような世の中にするのが理想ですが、どうもそれは資本主義の構造上不可能そうです。 となると酷ですが、無敵の人を抑えこんで無敵でなくなるようにするしかありません。
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「失うものがある人」と「ない人」ではコロナ感染の負い目は全然違う | コロナ感染者体験記ブログ
(拍手) はい!もうこれであなたはこの記事のことを忘れました! にしけい
映画『ジョーカー』 何も失うものがない「無敵の人」を生むのは社会である。今の日本に生きる私たちはアーサーとさして変わらない - Past Orange
公開初日からかなり話題になっていて驚いています! バットマンの関連映画って印象が強いのかなと思ったんですけど、DC知らないけど観たって人多いですよね。素晴らしい! 守る物がある人間と、失うものが何もない人間、どちらの方が強いと思いますか... - Yahoo!知恵袋. 様々な人が観ているので感想も様々。どんな感想を言っているかでその人がどんなタイプの人か分かっちゃうかも。 こういう人を生み出しちゃいけない アーサーに寄り添い、感情移入し、悲しい結末を避けなければいけないと嘆く人たちですね。 アーサーを演じたホアキン・フェニックスも「この映画を見て考えて話し合ってほしい」と言っているので、しっかり受け取れた人たちですね。 真面目なタイプ、物事は何層にも重なっていると知っている人たちです。信頼できますね。 良薬として受け取れたタイプと言えます。 かっこいい、なりたい! おっと危ない! 劇薬として摂取してしまったタイプ。止めましょう。 確かに苦しそうにゆっくりと階段を上るより、愉快に踊りながら降りてくる姿の方が魅力的でカッコ良いですよね。 でもやっぱりジョーカーは悪だから。思うままに自由気ままに破壊するのはよくないです。 表面の暴力性だけ受け取ってしまったタイプ! または無敵の人予備軍かもしれません。ぜひ、周りの人は止めましょうね。 ただの悪党、意味がわからない この感想が一番危ないのではないかと思います。 本作の世界を、現代の闇を作り出している人たちなのかもしれなせんね。トーマス・ウェインタイプです。 意味がわからないというか、他者の痛みを理解する努力をしない人。想像力がない人ですね。 ただわからないながらも映画を観に行っているので、まだ救いは残っています。 この人たちをどう変えていくかが鍵となるでしょう。 人生経験が浅いからノレなかった この感想ね、多くなかったんですけど。何タイプってわけではないんですけど。 多分この感想を抱いた人は、何不自由なく生活してこれて、家族も友人もみんな幸せでこれたんだと思います。 だからアーサーの気持ちにノレなかった。ノレなかったけど、それは自分の人生経験が浅かったからだと言っているんですよ。 本人としてはノレないことを嘆いていたんですけど、僕としては「それだよ! !」って感じだったんです。 自分の人生で経験できるものってほんの一部だし、人の心なんてほとんどわかりません。 それを少しでも理解しようとするために映画を観るんですよね。 「人生経験が浅い自分ではわからなかった」と言えるその考え方は素晴らしいです!
守る物がある人間と、失うものが何もない人間、どちらの方が強いと思いますか... - Yahoo!知恵袋
公開日: 2019/10/05: 映画 映画『ジョーカー』 何も失うものがない「無敵の人」を生むのは社会である どうも、GANO( @Past_Orange )です。 2019年10月4日に日本公開となった『ジョーカー』 を観てきました! バットマンの宿敵ジョーカーの誕生を描いた映画ですね。 では、まず予告編を観ていきましょう! 映画『ジョーカー』本予告 めちゃめちゃ辛そうですよね。 「劇薬」と評される理由も気になります。 映画『ジョーカー』はこんな人にオススメ! どんな人が『ジョーカー』を楽しめるか考えてみました。 ・メンタルが安定している人 ・生きづらさを感じている、感じたことのある人 ・無敵の人という言葉を聞いたことがある人 こんな感じ。 メンタルが安定している人というか、安定している時に観てね って感じです。劇薬と呼ばれるのは、それぐらい影響されやすい映画だからなんです。 そして現代に生きづらさを感じている人。 貧富の差を感じて苦しんでいる人は、共感できる部分がある と思います。 最後に 「無敵の人」 という言葉を聞いたことがある人。ネットスラングですね。この映画はそんな人が生まれる映画だと言えます。 本当は全人類にオススメしたいほどの名作なんですが、かなり危険なので。少し解釈を違えるとジョーカー側になりえる、そんな映画です。 ではネタバレを含んだ感想を載せていきますね! スポンサーリンク 『ジョーカー』 全てを失った人を作り出すのは社会と、無関心なあなた 出典:YouTube 本作は悪のカリスマであるジョーカーがどのようにして生まれたかを描く作品です。 あの狂気まみれの激ヤバ悪党はどんな奴がなるんだ? 失うものがない人は強い. と観てみると、そこにいるのはごく普通の人間。 親の介護をしながら貧乏ながら仕事をしつつ、病気と闘いながら夢を追いかけて勉強をするごくごく普通の、僕らと変わらない人なんです。 ごく普通の人の延長線上に、狂気に満ちた悪がある。 その怖さが伝わってくる作品となっています。 子供の頃に受けた暴力によって脳に支障をきたし、緊張すると笑ってしまうアーサーは、不気味がられ友人もできずに孤独そのもの。 仕事は無くなり、薬はもらえなく、見ず知らずの人に殴られ、恋人は妄想、母親と血の繋がりはなく虚言ばかり。 様々な繋がりが断たれていき、 アーサーは何も持たないものになってしまいました。 「無敵の人」になるのは瞬間ではなく、日常的にじわじわと追い込まれていってなるってことがわかると思います。 何も失うものがない人ほど怖いものはありません。日本でもそういった人が無差別に人を殺し自らも命を断つ事件が起きていますよね。 彼らはアーサーなんですよ。 世の中に絶望しルールを守る必要もなくなった人は、どんな恐ろしいことも平気でできてしまう。 じゃあアーサーは、アーサーのせいで無敵の人になってしまったのでしょうか?
「教育」とか「親」から「ゴール信仰・正解信仰」を植え付けられた場合もあるようです。 「あなたはお姉ちゃんなんだから我慢しなさい」とか「トラブルを起こさないようにしなさい」とか謎ルールを強いられて「正解信仰」を洗脳されてきたパターンです。 しかし、突き詰めていくとそこにも因果関係はあるように見えてありません。上記のような教育(洗脳)を受けて育った人でも「ゴール信仰」を破壊して楽しそうにやっている人もいますし、やっぱり最終的にはその本人が「ゴール信仰」や「正解信仰」を採用しているようなのです。 なぜ、それを採用するの?楽だからです。でも先述したようにゴール正解信仰は「自分や誰かを傷つける要因」にもなります。というか、時代の流れから見ていると「傷つける要因にしか」ならないようにも見えます。 ゴール信仰が生み出した試行錯誤させない環境 人生のゴール?結果? 本当にそんなものがあるのでしょうか。あなたが設定している「ゴール」や「目的」は果たして本当にそれでいいのでしょうか?
サラリーマンにとって恐ろしい存在。 それは無敵の人です。 無敵の人とは、黒子のバスケという漫画の作者をめぐる連続脅迫事件にて犯人が発言した言葉です。 定義としては 「失うものが何もないから罪を犯すことに心理的抵抗のない人間」 を意味します。 無敵の人、これほど恐い存在はありません。 犯罪を恐れませんので、ためらうことなく他人に危害を加えます。 加えて、何も背負っておりませんので限度がありません。 まさしく無敵の人です。 対してサラリーマンは、無敵の人に比べればあまりにも無力です。 社会的責任から手は出せませんし、やられるがまま我慢するしかありません。 無敵の人とは逆に最弱の存在といってもよいでしょう。 この現状… 正直、何かおかしくないか?と思います 何にも背負っていない無敵の人はやりたい放題、それに対する対抗手段は0 ! どう考えてもおかしいでしょう。 実際のところ、毎日通勤していると無敵の人っぽい輩には時折出会います。 実際、無敵の人がどこぞのサラリーマンを蹴り飛ばしているのを目撃したこともあります。 私自身、そんな無敵の人にからまれないかと通勤のたびにヒヤヒヤします。 無敵の人は無敵ゆえに無敵である 無敵の人にやられたらやりかえしたらいい? そんな簡単な問題ではありません。 やりかえしたくてもやりかえせないのです。 それは、会社をクビになるといった社会的責任からだけではありません。 逆恨みが恐いのです。 無敵の人に絡まれた場合、やりかえしたらどうなるか考えてみてください?