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三好 康児 名前 愛称 ミヨッシ カタカナ ミヨシ コウジ ラテン文字 MIYOSHI Koji 基本情報 国籍 日本 生年月日 1997年 3月26日 (24歳) 出身地 神奈川県 川崎市 多摩区 身長 167cm 体重 61kg 選手情報 在籍チーム ロイヤル・アントワープFC ポジション MF 背番号 19 利き足 左足 ユース 2003-2006 2007-2008 2009-2011 2012-2014 中野島FC ( 中野島小) 川崎フロンターレU-12 (中野島小) 川崎フロンターレU-15 ( 中野島中) 川崎フロンターレU-18 ( 新城高) クラブ 1 年 クラブ 出場 (得点) 2015-2020 川崎フロンターレ 31 (5) 2015 → Jリーグ・アンダー22選抜 8 (1) 2018 → 北海道コンサドーレ札幌 (loan) 26 (3) 2019 → 横浜F・マリノス (loan) 19 (3) 2019-2020 → ロイヤル・アントワープFC (loan) 14 (1) 2020- ロイヤル・アントワープFC 18 (2) 代表歴 2 2019- 日本 5 (2) 1. 国内リーグ戦に限る。2021年4月18日現在。 2. 2020年11月17日現在。 ■テンプレート ( ■ノート ■解説 ) ■サッカー選手pj 三好 康児 (みよし こうじ、 1997年 3月26日 - )は、 神奈川県 川崎市 多摩区 出身の プロサッカー選手 。 ジュピラー・プロ・リーグ ・ ロイヤル・アントワープFC 所属。 日本代表 。ポジションは ミッドフィールダー 。 目次 1 来歴 1. 1 プロ入り前 1. 2 川崎フロンターレ 1. 3 北海道コンサドーレ札幌 1. 4 横浜F・マリノス 1. 5 ロイヤル・アントワープFC 1. 6 日本代表 1. 6. 1 年代別代表 1. 2 日本代表(A代表) 2 所属クラブ 3 個人成績 4 タイトル 4. 1 クラブ 4. 2 代表 4. 3 個人 5 代表歴 5. 1 出場大会 5. 2 試合数 5. 三好 康児-東京世代 選手名鑑|テレ朝サッカー|テレビ朝日. 3 出場 5.
三好 康児-東京世代 選手名鑑|テレ朝サッカー|テレビ朝日
逆境に陥った時、それを乗り越える方法 ―「難しい時期を逆に楽しむ」 うまくいかない時や思いどおりにいかない時は、逆にその時期を楽しむようにしています。もちろん不満や不安も感じますが、成功している時よりもそういう時期のほうが自分自身と向き合い、新たな取り組みを模索しようとするので、そうい部分を自分なりに楽しむようにしています。 これまでのキャリアの中では、プロ入り直後が難しい時期だったように思います。プロの世界でも通用するだろうと思って川崎Fのトップチームに昇格しましたが、自分に足りないところを痛感させられたり、試合になかなか出られず、自分が思い描く理想と現実の間にギャップがありました。振り返れば、あの頃が一番苦労したように思いますが、当時の経験があるからこそ、今ではうまくいかないことがあっても慌てることなく、自分の考えを実行し、結果に移せるようになりました。 6. サッカー をしていて、最高の瞬間は? ―「普通にボールを蹴っている時」 もちろん、試合中に点を決めることができた瞬間も最高ですが、新型コロナウイルスの影響で思うようにサッカーができなくなった経験をした今では、ただただ普通に、何気なくボールを蹴っていられる時というのが何よりも最高の瞬間です。サッカーができないつらさを味わったことにより、サッカーができることは当たり前ではないのだと感じましたし、サッカーができていることに心から感謝するようになりました。 7. サッカー以外で自分の中で大事にしていること ―「周囲の人から認めてもらえるような言動」 プロサッカー選手である前に、一人の人間として周囲の人から認めてもらえるような言動をすることを意識しています。サッカー選手ですから、試合に出られる出られない、得点を取れる取れないなど、ピッチ上での成績によって気持ちに浮き沈みが生じます。そういったものを隠すのではなく、仮に個人的な成績がよくない時でも、精神的な部分や振る舞いの部分で周りの人から認められ、尊敬されるような人間でありたいと思っています。 8. 客観的に自分を見た時に、自分はどんな人間だと思うか? ―「けっこう浮き沈みが激しいタイプ」 あまり感情を表に出さないように見えて、実はけっこう浮き沈みが激しいタイプかなと思います。気分が落ちた時には、落ち込んでいる理由を探るためにその時の思いをノートに記したり、自分なりに冷静に受け止めるようにしています。 9.
自分の出身地の良いところや思い出の場所 ―「多摩川の河川敷」 僕は神奈川県川崎市出身で、多摩川沿いに実家があります。多摩川の河川敷にはサッカー場を始め、野球場やテニスコートなどスポーツ施設が充実しているんです。小学生の頃は、学校から帰宅すると同時に同じチームのメンバーたちと河川敷のグラウンドに集まって、試合やリフティング対決などをして毎日のようにボールを蹴っていました。ここ最近は、公園の少ない地域や、ボール遊びが禁止という公園などもありますが、地元に毎日のようにボールを蹴られる環境があったことは、当時の僕にとってとても大きな存在でした。 2. どんな子どもだったか? ―「末っ子なのでわがままな性格」 性格的には、けっこうやんちゃなタイプだったかなと思います。僕には6歳上の姉と4歳上の兄がおり、年齢が少し離れているため兄弟ゲンカはほとんどしませんでしたし、末っ子ということでわりとわがままに育ったような気がします。 サッカーを始めたのは小学1年生の時。兄が小学校のクラブに入っていたことがきっかけです。その後、5年生に進級するタイミングで川崎フロンターレU-12のセレクションを受け、合格することができました。 3. 子どもの頃になりたかった職業は? ―「プロサッカー選手」 子どもの頃から、夢はプロサッカー選手一筋です。保育園の卒園アルバムにも、将来の夢という欄にはプロサッカー選手と書きました。僕が保育園の年長の時に 2002 年の日韓ワールドカップが開催され、あの大会の影響を受けてプロサッカー選手を目指すようになりました。当時の憧れはブラジル代表のロベルト・カルロス。日韓 W 杯でも活躍していましたし、あの強烈なキックがうらやましくて、同じ左利きとして何度も真似をしました。 4. 今思う、サッカー選手でなかったら、どんな職業についていたか? ―「サラリーマン」 プロサッカー選手以外の職業はあまり思いつきませんが、僕の父は一般的なサラリーマンとして働いていたので、僕も同じようにサラリーマンをやっていたのではないかと思います。 誰もがやりたい職業に就けるわけではないこの世の中で、プロサッカー選手になることができた自分はとても幸せな人間だと感じています。だからこそ、ともにプロになることを夢見ていた学生時代のチームメートたちから声援やエールをもらう時には、大きな喜びと同時に責任感を感じます。 5.