映画 顔 の ない 天使
先週登った赤岩岳とは全然違います 登り 登れるけど太ももに来ますね😭 間ノ岳 お天気いいのはうれしいけど、日差しが強くて体力奪われる🥵 なんてことないけど、よろけたら一発アウトっぽいから慎重に! 日陰でつかの間の休息🍀 ここで西穂側からきた人とすれ違いました 赤岩岳まであとちょっと! まずは下ります 手足をフルに使って歩きます 登ったと思ったらまた次のピークが現れる 結構な道を下って… 後ろを振り返って槍に元気をもらいます🥰 あれがきっと西穂高岳の山頂。 あと一踏ん張り!! 来た道を振り返って📷️ 西穂高岳山頂より笠ヶ岳 ラスト、ロープウェイまでがんばるぞ! 振り返って西穂高岳 ピラミッドピークから西穂高主峰 なんか西穂から先は楽って勝手に思ってなめてたけど、結構岩岩している… しかもいままでより小さな岩だから、浮き石踏んで足くじかないように気をつけないと🤕 丸山までくると人がいっぱい そして西穂山荘に到着 ここで少し休んでからロープウェイへと最後の一時間 ただいま てか西穂山荘からロープウェイ入口までは緩やかな道だと思っていたのに、結構な山道ですごく疲れた😭 ロープウェイ乗り場にある山びこポスト📮 類似するルートを通った活動日記 西穂丸山・西穂独標・西穂高岳・赤岩岳・間ノ岳・天狗ノ頭・ジャンダルム・奥穂高岳・涸沢岳・北穂高... 乗鞍岳 (岐阜, 長野) 2021. 07. 25(日) 2 DAYS 穂高岳縦走 槍ヶ岳・穂高岳・上高地 (長野, 岐阜, 富山) 2021. 23(金) 3 DAYS 西穂丸山・西穂独標・西穂高岳・赤岩岳・間ノ岳・天狗ノ頭・ジャンダルム・奥穂高岳 2021. 22(木) 乳酸時計待ったなしのジャンダルム 2021. 20(火) テント泊装備で西穂、ジャンダルム、奥穂(上高地・西穂高岳・間ノ岳・天狗ノ頭・ジャンダルム・奥穂高岳、涸沢、上高地の周回) 2021. 18(日) 第105回 ジャンダルム 奥穂高西穂高縦走 【登山】奥穂高岳・ジャンダルム・天狗ノ頭・間ノ岳・赤岩岳・西穂高岳・西穂独標・西穂丸山 2021. 首のない天使について何でもいいので教えてください| OKWAVE. 16(金) あたおか体力作り 奥穂~西穂縦走 霞沢岳 (長野, 岐阜) 2021. 06. 22(火) 奥穂高岳~ジャンダルム~西穂高岳 2020. 10. 11(日) 2 DAYS
首のない天使について何でもいいので教えてください| Okwave
印象に残ったことはほとんど無く、書けることもこれぐらいやけど、終始良い街、良い家に住んでるなぁって感じた(笑)。こんな落ち着いた街住んでみたいなぁ。良い余生過ごせそう。 自分の中ではメル・ギブソンのイメージはアクションやったから、初監督作品でこんな内容の映画撮ってるなんて驚きやった。しかも内容も悪くはなかったし。他の監督してる作品も観てみたい。
「8年間アメリカに住み、英語で4本映画を撮った後、1986年にベルリンでこの映画をに撮った。そういう意味で『ベルリン・天使の詩』は、僕の祖国と母国語への復帰を記す作品だ」。 2. 本作はヴェンダースにとって「個人的な作品」であったために、それを反映してクレジットは手書き文字となった。英語/フランス語/ドイツ語…すべて、ヴェンダースが見つけた「ある女性」が書いている。 3. ドイツ語の原題("Der Himmel über Berlin")を英訳すると『ベルリン天空』か『ベルリンの空』のような意味となる。「原題の響きには俳句の趣があるけれど、『ベルリンの空』ではまるで50年代の戦争映画だ。他の題名を探していて思いついたのが、『欲望の翼』(筆写註:英題"Wings of Desire")だ。この英題はとても良く、これを原題にしようかと思ったくらいだ」。 4. 『パリ、テキサス』のあと、ヴェンダースは次回作として『夢の涯てまでも』の準備に入り、世界中を旅しながら2年間もの準備期間を過ごしていたものの…「この映画は複雑で費用がかかった。それで86年の夏に少なくとも1年は延期しようと決めた。当時僕の会社では2年製作の仕事がなかったので、社員のために映画を作る必要があった。『夢の涯てまでも』の製作を延期し他の映画を手早く作ったんだ。ベルリンが最適だった。すでにこの街に戻っていたが、ドイツでドイツ語の映画を撮るのは久しぶりだった。もし手早く自由に何かを撮るならテーマはわが街とわが祖国に限る。故郷について語る時が来たように思ったんだ」。 5. 時間の流れに沿って撮りはじめたものの、最初のシーンは"天使抜き"で撮影するしかなかった。「衣装がなかったために登場できなかったんだ。この時もまだカツラや鎧などをいじっていた…あらゆる天使の姿を試したよ。それで最初は天使の視点のみを表現し、彼らが人々をどんな風に見つめているかを映した」。 6. 「僕がドイツへ戻った唯一の理由はベルリンだ。当時のベルリンは独立した惑星のようで、そこはドイツではなく、どこにも属さぬ中立地帯だった。それでベルリンの再発見を始めたんだ。だから会社存続の必要に迫られて、どうせ映画を撮るなら"ベルリンで撮ろう"と。ベルリンで撮るのは『都市の夏』(筆者註:ヴェンダースの第1作。1970年)以来だった。街を歩き回り、ベルリンで撮るベルリンがテーマの映画の構想を練った」。 7.