わたし と 小鳥 と すず と
10 5月 15日 vol.
- こどもの本の店JULA・・・JULA(ジュラ)出版局::金子みすゞ
- Amazon.co.jp: わたしと小鳥とすずと (金子みすゞ童謡集) : 金子みすゞ, 矢崎節夫: Japanese Books
- 国語科学習指導略案「わたしと小鳥とすずと2」
こどもの本の店Jula・・・Jula(ジュラ)出版局::金子みすゞ
あらすじ一覧 「私と小鳥と鈴と」石川県金沢市 【原文】 私(わたし)が両手(りょうて)をひろげても、お空(そら)はちっとも飛(と)べないが、飛(と)べる小鳥(ことり)は私(わたし)のように、地面(じべた)を速(はや)くは走(はし)れない。 私(わたし)がからだをゆすっても、きれいな音(おと)は出(で)ないけど、あの鳴(な)る鈴(すず)は私(わたし)のようにたくさんな唄(うた)は知(し)らないよ。鈴(すず)と、小鳥(ことり)と、それから私(わたし)、みんなちがって、みんないい。 【方言】 私(わたし)が 両手(りょうて)ひろげても、お空(そら)は ちょっとも 飛(と)べんげんけんど、飛(と)べる小鳥(ことり)は 私(わたし)みたいに、ぢぺだ 速(はや)くは 走(はし)れんげんよ。私(わたし)が からだ ゆらいても、きれいな音(おと)は 出(で)んげんけど、あの鳴(な)るすずは 私(わたし)みたいに たんと 唄(うた) 知(し)らんげんよ。鈴(すず)と 小鳥(ことり)と ほれから私(わたし) みんなちがうし みんないいげん。
Amazon.Co.Jp: わたしと小鳥とすずと (金子みすゞ童謡集) : 金子みすゞ, 矢崎節夫: Japanese Books
クープラン「ルソン・ド・テネブル全曲演奏会」に出演。 14'J. S. バッハ「コーヒー・カンタータ」、17'キタラアーティストサポートプログラムにおいて J. バッハ「農民カンタータ」を中心としたジョイントリサイタルを開催。 「音楽の友」や「北海道新聞 演奏会欄」に、高い評価で取り上げられた。 18'ふきのとうホールにて六花亭主催公演「鎮魂―3.
国語科学習指導略案「わたしと小鳥とすずと2」
(歌まとめ) -作曲家、弓削田健介が作曲した「とにかく明るい金子みすゞ」シリーズの紹介。
明治36(1903)年、山口県仙崎村(今の長門市)に生まれる。大正末期にすぐれた作品を発表し、西條八十に「若き童謡詩人の巨星」とまで称賛されながら、26歳の若さで世を去った。没後その作品は埋もれ、「幻の童謡詩人」と語りつがれるばかりとなったが、童謡詩人・矢崎節夫の長年の努力により512編の詩を収めた遺稿集が見つかり、没後50余年を経て出版された。そのやさしさに貫かれた詩句の数々は、確実に人々の心に広がっている。故郷には長門市立金子みすゞ記念館が開館、また現在13の言語に翻訳されている。 昭和22(1947)年、東京生まれ。早稲田大学文学部卒業。大学在学中より童謡・童話の世界を志し、童謡詩人佐藤義美、まど・みちおに師事。昭和57年、童謡集『ほしとそらのしたで』で、第12回赤い鳥文学賞を受賞。自身の創作活動の傍ら、学生時代い出会った一編の詩に衝撃を受け、その作者である童謡詩人金子みすゞの作品を探し続ける。16年ののち、ついに埋もれていた遺稿を見つけ『金子みすゞ全集』(JULA出版局)として世に出し、以後その作品集の編集・出版に携わっている。
よく聞いて,じこしょうかい 図書館たんていだん もっと知りたい,友だちのこと 気もちをこめて「来てください」 じょうほう 引用するとき 仕事のくふう、見つけたよ はじめて知ったことを知らせよう/鳥になったきょうりゅうの話 詩を味わおう 「わたしと小鳥とすずと 」 「夕日がせなかをおしてくる」 山小屋で三日間すごすなら ちいちゃんのかげおくり 修飾語を使って書こう はんで意見をまとめよう すがたをかえる大豆 ことわざ・故事成語 たから島のぼうけん 詩のくふうを楽しもう つたわる言葉で表そう これがわたしのお気に入り コンピュータのローマ字入力 わたしたちの学校じまん