日本 最初 の 元装备
東京五輪 で24日に競技全体の 金メダリスト 「第1号」となった射撃・女子エアライフルの楊倩(ヤンチエン)選手(21)が、自国の中国で大きな話題を呼んでいる。 「00後」と呼ばれる2000年代生まれの新世代。故郷の農村で射撃の才能を見いだされ、国内トップ校と言われる清華大学に進学した現役の大学生だ。「清華女神」などの愛称がつき、若い世代の憧れの的になっている。 楊選手は 浙江省 寧波市の農村出身。中国メディアによると、小学4年生のころから地元の 体育学 校で射撃の本格的な訓練を始め、北京にある清華大の付属高校に進んだ。 今回の 東京五輪 の中国選手の中では、他の選手がメダル圏内だとして期待されていたこともあり、新世代のメダリストの誕生を中国メディアは大きく報道している。 報道によると、楊選手の小学生時代のコーチは「訓練中に疲れて銃を持ったまま寝てしまうこともあるほど、度胸のある選手。射撃に必要な心の強さを持っているから、がんばれると信じていた」とたたえた。 故郷の住民は、農作業後の楽… この記事は 会員記事 です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り: 235 文字/全文: 680 文字
- 柔道・渡名喜が日本勢メダル1号確定 準決勝で強敵破る 日本勢で夏、冬通じて通算500個目メダル― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
- 大谷翔平、日米通算100号に「どちらも最初の1本は思い出」 出場671試合で到達 | Full-Count
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柔道・渡名喜が日本勢メダル1号確定 準決勝で強敵破る 日本勢で夏、冬通じて通算500個目メダル― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
東京五輪第2日の24日、本格的に競技が始まり、柔道は女子48キロ級の渡名喜風南(25)が準決勝でダリア・ビロディド(ウクライナ)を延長戦の末に横四方固めで勝って決勝に進出、銀メダル以上が決まった。男子60キロ級の高藤直寿(28)は準決勝に進んだ。卓球の新種目、混合ダブルスで水谷隼(32)、伊藤美誠(20)のペアも勝ってベスト8。射撃の女子エアライフルで楊倩(中国)が優勝、今大会の金メダル第1号となった。 バドミントンの女子シングルスの山口茜(24)と、混合ダブルスの渡辺勇大(24)東野有紗(24)組はともに初戦を白星で飾った。日本勢は最初のメダルが、夏冬通算で500個目となる。 夜には競泳の予選もスタートし、女子400mリレーに白血病から復帰した池江璃花子(21)、男子400m個人メドレーに瀬戸大也(27)が出場する。
大谷翔平、日米通算100号に「どちらも最初の1本は思い出」 出場671試合で到達 | Full-Count
プロ9年目でひとつの節目、第2打席で左翼へ打球速度172キロ豪快ソロ ■レンジャーズ 7ー4 エンゼルス(日本時間22日・アナハイム) エンゼルスの大谷翔平投手は21日(日本時間22日)、本拠地のレンジャーズ戦で「2番・指名打者」で先発出場。3回の第2打席で4試合ぶりの5号ソロ本塁打を放ち、プロ9年目で日米通算100号本塁打に達した。2試合ぶり安打にもなり、3打数1安打、1本塁打、1打点で打率. 310。節目の一発に、試合後「とりあえず1本打てたのはよかった」と振り返った。 初回1死の第1打席はフルカウントから見逃し三振に倒れたが、迎えた3回2死走者なしの第2打席。カウント2-2から83. 4マイル(約134キロ)のスライダーを捉えると、打球は大きな放物線を描いて右翼スタンドに着弾した。飛距離は402フィート(約122メートル)、打球速度は107マイル(約172キロ)だった。NPB時代の5年間では48本塁打を放ち、MLB4年目で通算52発となった。 日米合わせて通算671試合目(NPB403試合、MLB269試合)の出場で100号に到達。日本時代は約8試合に1本塁打のペースだったが、メジャーではここまで約5試合に1本のハイペースで重ねている。ましてや投手との"二刀流"。それでも大谷は「時期はあんまり分からないですけど…」とさらり。日米で印象に残る本塁打を問われると「どちらも最初の1本は思い出に残っているかなと。特別な1本かなとは思っています」と話した。 右手中指のマメの影響から20日(同21日)のレンジャーズで先発。投打同時出場した4日(同5日)に訴えて以来16日ぶりの登板で、7四死球を与えながら7三振を奪い4回1安打無失点だった。登板翌日のデーゲームとなったこの日は、打者として躍動。試合前にはジョー・マドン監督が会見で、次回先発が中5日で26日(同27日)のレンジャーズ戦になる可能性を示唆。打者としてひとつの節目を越え、さらに二刀流として進化していく。 (Full-Count編集部) RECOMMEND オススメ記事
大谷一問一答 父の日に6戦6発、自己最多23号「もっともっと打てるように」 | Full-Count
小松空港や航空自衛隊小松基地、日本自動車博物館などがあり、「乗りもののまち」として知られる石川県小松市で、ボンネット型特急電車、489系の先頭車「クハ489-501」に続きまた1両、北陸にゆかりのある名車が修復されました。高度経済成長期の日本の物流を支えた旧国鉄のコンテナ専用特急貨物列車「たから」の車掌車です。修復はどのようにして行われたのでしょうか。 2021年4月、修復作業が行われていた小松市内の資材置き場を訪ねました。地面に敷いたレール上に、淡緑色に塗られた車掌車が置かれていました。車体には「ヨ5003」の文字。正面には黄色をベースに黒い文字で「たから」と書かれたテールマークが取り付けられています。 「やっと終わって、ほっとしています」 修復に携わった「ボンネット型特急電車保存会」(小松市)の事務局長、岩谷淳平さん(45)が話しました。保存会によると、車掌車のサイズは全長7. 83メートル、幅2. 64メートル、高さ3.
元旅館経営者の回想を紹介する前に、昭和のプロレスファンの間では有名な旅館破壊事件の概要と、その逸話が伝説化した経緯について説明しておきたい。 事件は1987年1月23日、熊本県水俣市で起きた。 アントニオ猪木率いる新日本プロレスは同月19日より九州巡業に入り、この日は湯の児温泉の「松の家旅館」が宿泊先となっていた。ちなみに外国人選手は、同じ水俣市内の「ビジネスホテル恋路」、シリーズに帯同するUWFメンバーは、国鉄水俣駅の前にあった「水俣旅館」に宿泊している。 当時の新日本は、若き格闘王・前田日明をリーダーとするUWF勢との抗争を繰り広げていたが、目指すプロレスのスタイル、方向性の違いもあって試合はかみ合わず、「新日本 vs UWF」の対抗路線はファンの支持を得ることができないまま、興行成績は低迷していた。 前田は1984年に新日本プロレスを退団し、格闘路線をより鮮明にした新団体UWFを旗揚げしたものの、わずか1年半で経営に行き詰まり、高田伸彦(現・延彦)や藤原喜明らとともに「UWF軍」として新日本プロレスへの出戻りを余儀なくされた。だが、その後も新日本とUWFの間のわだかまりは解消されない状態が続いていたのである。