ビジネス と は 金 を 稼ぐ こと では ない
■得体の知れない用語「働きがい」 「モチベーションという用語よりも、得体が知れない」 以前からこう思っているこの「働きがい」という用語は、とはいえ昨今多くの企業で使われるようになった。 どちらかというと「モチベーション」よりも新しく、そして意味合いを理解されていない用語であるにもかかわらず、である。 ※参考記事: 【もう死語?】成功する人ほど「モチベーション」を口にしない 「モチベーション」という用語の意味を、何となく言語化できる人はいても、「働きがい」をうまく言葉として表現し、小学生でもわかるように説明できる人は、そう多くはいないだろう。 以前、あまりに「働きがい」のことを口にする経営幹部がいた。なので、言葉の意味をどう捉えているのか、やんわりと質問してみた。すると、 「働きがいと言ったら、働きがいだ。それ以上、どう説明しようというのだ」 と開き直られてしまった。私は企業の現場に入って目標を絶対達成させるコンサルタントである。もしも私が、 「目標を絶対達成するにはどうしたらいいかって?
- 「ビジネスとは、金を稼ぐことではない」と言ったナイキ創業者の考え方 | 文春オンライン
- なぜビジネスセンスがない人ほど「働きがい」という言葉を使うのか?(横山信弘) - 個人 - Yahoo!ニュース
- 聞くは一時の恥 永江一石のなんでも質問 なんでも回答 メルマガベストセレクト 2012-2013 - 永江一石 - Google ブックス
「ビジネスとは、金を稼ぐことではない」と言ったナイキ創業者の考え方 | 文春オンライン
私が考えたのは以下の3点です。 お金持ちは私利私欲を満たしているイメージがある 政治家や大企業の社長、世間的に見るお金持ちは毎日おいしいものを食べ、良い場所に住み、私利私欲を満たしているイメージがあるからです。 自分の給料は全然上がらず良い生活もできないのに、あいつらは私腹を肥やしやがって! 聞くは一時の恥 永江一石のなんでも質問 なんでも回答 メルマガベストセレクト 2012-2013 - 永江一石 - Google ブックス. しかも「楽して稼いでる」イメージがありませんか? たまに、ニュースで見る汚職事件などのニュースを見ると私たちでは想像できないぐらいの金額が動いているのに驚くはずです。お金で解決できる事がいかに多いかが分かります。 決してそういう人ばかりではない事もわかりますが、世間的に見るとお金持ちは悪なイメージは抜けないです。 幼いころの記憶 子供の頃、好きなものを好きなだけ買ってもらえる子が近くにいませんでしたか?きっと、その子のお家は裕福だったのだと思います。 それに対して自分はクリスマスと誕生日にしか買ってもらえない。 「お金は貴重なもの、必要以上に使ってはいけない」「使わない分は貯金をするものだ」 という意識が幼少期からの刷り込まれて成長してきています。 幼いころから少しづつ「お金は使ったらなくなるもの」「ちょっとづつ大切に使うもの」という意識を刷り込まれているのです。 妬ましく思われたくない 「お金をたくさん稼いでいる」というだけで妬ましく思われるイメージがあります。 確かに成功している人を見ると、尊敬と同時に羨ましいような妬ましいような何とも言えない感情に襲われますよね。 成功したいと思う一方で心の奥底では「妬ましく思われたくない」と考えているのです。 「言い値で売れない人」の多くに、このメンタルブロックがかかっている 事が多いといわれています。 あなたは、お金を稼ぎまくってもいい! あなたの与える価値で人が幸せになるのであれば、あなたはどんどん稼ぎまくっていいんです。それで幸せになる人がいっぱいいるのですから。 お金は悪いものではありません。あくまでも価値の対価です。 ボランティアはいけません!あなたには与えた価値分の対価であるお金を受け取る権利があります。 しっかり認識することで「お金に対する負の意識を変えていきましょう」 そのためにも、 「私は稼いでいいんだ!」「お金持ちになっていいんだ!」 と自分がお金持ちになればなるほど、人に価値を与えたと感じるようにしてみましょう。 これでお金を稼ぐことに対するメンタルブロックは外れるはずです。私も素直にお金は受け取るようにしています。もちろん、 「もっと貢献しよう!もっと役に立とう!」 という意識は一層強くしていってます。 すると、相手も自分も幸せになっていきます!
なぜビジネスセンスがない人ほど「働きがい」という言葉を使うのか?(横山信弘) - 個人 - Yahoo!ニュース
「甲斐」とは、努力した効果の検証である。本質ではない。 「働きがい」は「働く」の本質ではないし、「やりがい」は「やる」の本質ではない。「働きがい」も「やりがい」も結果論である。それを求めて働くわけでもないし、やるわけでもない。 つまり、目的とはなりようがない要素であることを忘れないでほしい。「働きがい」という感情は。 ■ビジネスの本質とは何か? それでは「働く」の本質とは何なのか? 国民の三大義務から考えてみる。日本国憲法には、「教育の義務」「勤労の義務」「納税の義務」という3つの義務が定められていて、私たち日本国民はそれを守らなければならない。 働くために勉強し、働いて税金を納める。それを私たちは課せられているわけだが、では働く本質とは税金を納めることなのか?
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ここでもう一度ビジネスセンスについて触れておこう。ビジネスセンスがある人は必ず「お金儲け」について理解している。十分に収益を生まないような赤字経営は絶対に避けたいと願う。 そしてセンスがある人は日本語を正しく使う。 「いいものを作れば必ず売れる」 とか、 「利益は必ず後からついてくる」 といった、きれいごとを言わない。これらの言い方は「収益を生み出すストーリー」として日本語がおかしいからだ。 お金を生み出すのは誰なのか?
『SHOE DOG 靴にすべてを。』(フィル・ナイト 著 大田黒泰之訳) ビジネス書で成功者の自伝、啓発本コーナーにも並ぶベストセラーだって? 眉をひそめ声を荒げた私だったが、一読してすっかり本書に魅了されてしまった。痛快にして波乱万丈、ページをめくるたびにピンチが道をふさぐ。しかし夢と信念、友愛を原動力にして、ビジネスという名のレースは再開される。 主人公はナイキの共同創業者で前会長だったフィル・ナイトだ。片田舎のオレゴン州ポートランドに生まれ、名門スタンフォード大でMBAを取得した。 「世界は馬鹿げたアイディアでできている。歴史は馬鹿げたアイディアの連続」 二十四歳のナイトはランニング中に天啓を得て、自分も馬鹿げたことをやらかそうと、紆余曲折の道を走り始める。一九六二年、陸上選手の経験をもとに、スポーツシューズ輸入会社ブルーリボンを起業したのだ。 若き日の主人公が眼をつけたのはオニツカタイガー。戦後復興期の日本製品に惚れ、単身神戸に乗りこんで商談をまとめ、母国でかつての敵国の靴を売りまくる。 ところが、オニツカは知名度が上がるや、ブルーリボン社を見捨てようとする。のっぴきならない危機に、主人公はどう対処するか!
ビジネスに役立つ哲学 2021. 04. 01 ビジネスに役立つ哲学3:何のために稼ぐのか 「なぜ人はお金を稼ぐのか? 」と問われれば、多くの人は「生きていくためにお金が必要だから」と答えるだろう。そして多くの人は、そのお金を稼ぐために仕事をしている。お金と仕事には切っても切れない関係があるが、お金と仕事のどちらを重視するかで「お金を稼ぐということ」に対する考え方は違ってくる。 「お金を稼ぐということ」について、フランスの3人の哲学者の「考え方」を紹介。もし、彼らが「お金を稼ぐということ」に迷い、悩んでいる、現代に生きる私たちにメッセージを送るとしたら、きっとこんな言葉をかけてくれるはずだ。 ※「ビジネスに役立つ哲学」の連載では、作家でありモラリストでもある大竹稽氏が、フランスの哲学者になりきって、現代の迷い、悩めるワーカーにメッセージを送ります。 寓話『アリとキリギリス(原題:セミとアリ)』のアリのようにお金を稼ぐだけの人生になってはいけません 生きていくためにはお金が必要です。お金を稼ぐには仕事をしなければなりません。だから生きていくために仕事をする。でも、そのような仕事の仕方、どうですか? 楽しいですか? あなたの顔の皺は、微笑みによるものですか? それとも苦痛によるものですか? そもそもわたしは、生きていくためにお金が必要だとは思っていません。 あなたは『アリとキリギリス』という寓話を一度は読んだことがあるでしょう。あの寓話、原題は『セミとアリ』なんです。わたしがイソップ寓話から抜粋して、フランス流に『アリとキリギリス』としてつくりなおし、世界に広まるきっかけをつくったからです。 イソップ寓話の中で『セミとアリ』はそれほど有名ではありませんでした。それを、わたしの『寓話集』では、第一巻の第一話という一番目立つところにもってきたのです。その理由をもって、「お金のために仕事をしなければならないのか? 」への答えとしましょう。 イソップ寓話の『セミとアリ』では、「怠け者には生きている資格などない」「怠けていたら仕事も食べ物もなくなってしまいますよ」という教訓を伝えようとしていました。だから、イソップ寓話では、蓄えのために働くアリが主役になり、怠け者のセミの出番は、食べ物の無心と「怠けていたのではないのです」と弁明をするところのみでした。 わたしはそれを逆転させました。「セミは夏の間、ずっと歌っていた」と、セミが生きることを楽しんでいる様子から物語を始めたのです。なぜなら、わたし自身にセミのような心があるからなんです。わたしは働き者のアリよりも、ずっと歌っていたセミのほうに共感してしまうんです。 アリに象徴される働き者の人たちのように、お金を稼ぐことばかりに執心していると、顔から笑顔がなくなってしまいますよね。わたしには、お金を稼ぐというプレッシャーがしのび難いのです。 もちろん怠けてはいけません。だから日々、仕事にも励みます。でもお金を稼ぐだけの人生になってはいけません。わたしたちにはアートが必要なんです。 アートとは遊びです。遊びというと価値がないと一蹴されそうですが、アートには理屈を超えた価値があるんです。そして誰もがアートを愛でる心をもっているのです。このアートが消滅した世界...... 、そんな世界はとても恐ろしいでしょう。それは人間的な世界と言えるのでしょうか?