西郷隆盛は何をした人なのかわかりやすく説明します!日本を近代国家に導いた人物!|世界の歴史
あなたの人生、仕事、経営を発展に導く珠玉の教えや体験談が満載、 月刊『致知』のご購読・詳細は こちら 。 各界リーダー からの推薦コメントは こちら ◇石川真理子(いしかわ・まりこ) 昭和41年東京都生まれ。12歳まで米沢藩士の末裔である祖母中心の家で、厳しくも愛情豊かに育てられる。文化女子大学(現・文化学園大学)卒業。編集プロダクション勤務を経て、結婚後は作家として活動。著書に『 女子の武士道 』『 女子の教養 』『 活学新書 勝海舟修養訓 』(いずれも致知出版社)がある。 ◇勝 海舟(かつ・かいしゅう) 文政6(1823)年~明治32(1899)年。長崎海軍伝習所に学ぶ。万延元(1860)年咸臨丸艦長として渡米。元治元(1864)年軍艦奉行に就任、神戸に海軍操練所を開き、幕臣のほか諸藩の学生、志士を教育。戊辰戦争では江戸城の無血開城に尽力した。新政府で海軍大輔などを歴任。
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!もちろん日本中が大騒ぎ。 そして「鎖国を終わらせよう」という開国派、「これまで通り幕府が主となり鎖国を続けよう」という保守派、「外国と戦おう」という攘夷派・・・ いきなり家にターバン巻いた人がきてお友達になろうと言われたら困るのと同じじゃな 中には「幕府を倒そう」という討幕派や、「天皇中心の政治に戻そう」という尊王派まで・・・この開国を迫る外国人に対して日本は様々な思想が入り乱れ、大混乱になってしまったのです! 勝海舟って何をした人?その生き方とはどんなものだったのか!|世界の歴史. 西郷隆盛の活躍 島津斉彬 は幕府と天皇が協力して政治を行い、開国して日本も外国に負けないように最新の技術を取り入れるべきだという考えの持ち主でした。 西郷隆盛は島津斉彬から日本の将来に関わることをたくさん事を学びながら他藩の学者や思想家らと交流を図り、各方面の情報を島津斉彬に伝えていました。 またこの頃、島津斉彬の養女である 天璋院篤姫 と、第 13 代将軍徳川家定との結婚にも力を尽くしました。 しかしながら、西郷隆盛が師として仰いでいた島津斉彬が急死で失脚し、また安政の大獄が始まると、西郷隆盛は薩摩藩によって奄美大島に流されてしまいます。 西郷の島での暮らし 西郷は奄美大島では 「菊池源吾」 と名乗り、島の人との交流もなく孤独に暮らしていました。 尊敬していた島津斉彬の早すぎる死や、薩摩藩の対応、今後の日本の事などを考え、毎日孤独に過ごしていた西郷隆盛の気持ちは計り知れないですね! 島で過ごしていくうちに西郷隆盛は島の子供達に教育を行ったり、島に対して理不尽な要求をする役人に対して抗議を行ったりするうちに、島の人々の信頼を得ていきます。 そして、奄美大島の女性、 愛加那 と結婚し、一男一女が誕生! 西郷・薩摩藩に復帰するも再び流され・・・ 約 3 年間奄美大島で暮らしていた西郷隆盛は、 1862 年 に薩摩藩に復帰することになります。 しかし新しい藩主・島津忠義の実の父であり、事実上の最高権力者である島津久光の命に背き再び徳之島に流され、その後沖永良部島に流されてしまうことに・・・。 なんか流されっぱなしの西郷隆盛・・・。 しかし、よっぽど社交的だったのか西郷はすぐに島になじんでいきました。沖永良部島でも西郷は島の少年たちに教育や指導をし多くのことを教えます。 西郷隆盛が島で過ごしている間に「生麦事件」や「八月十八日の政変」がおこり時代が大きく動いていました。 薩摩藩の中でも 「西郷隆盛が必要だ」 との声が出始め、小松帯刀や大久保利通の働きもあり、再び薩摩藩に復帰することになりました。 行ったり来たりと本当に大変ですね!
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「勝海舟」という名前を聞いたことがある人は多いと思います。日本史の授業で必ず出てくる人物で、 「江戸城無血開城」 という出来事とセットで覚えているかも知れませんね。 でも勝海舟の功績はそれだけではありません。歴史に大きく名を残す勝海舟は、実際には何をした人なのか、わかりやすく解説していきたいと思います!
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「明治維新」と言う言葉は、歴史の授業で必ず習うので、誰もが言葉としては知っているかと思います。でも明治維新ってそもそも一体なんなのか?明... 新政府への参加と西南戦争 戊辰戦争後、西郷隆盛は新政府へは参加せず薩摩に戻り過ごしていました。 しかし、その頃の新政府はまだ軌道に乗っておらず、立て直すには西郷隆盛の力が必要だと考えた大久保利通らの説得により、西郷隆盛は参議として新政府に復職することになりました。 そして復職後は廃藩置県という改革を成し遂げ、新政府の中心的な存在になります。 その後、朝鮮に対しての意見の違いから大久保利通らと対立し西郷隆盛は、新政府の役人を辞め薩摩に戻ることになりました。 薩摩に戻った西郷隆盛は私学校を設立し、若者たちへの教育や指導に専念するようになります。常に日本の将来を考えていた西郷隆盛は学問や武術、農業などを教え多くの若者たちに慕われていたそうです。 島に行っても人気者・もともと人を引きつける物があったに違いないわ!
この時ここで日本人同士が戦っていれば… 内戦が勃発し、内戦で両戦力が弱り果てたところに、イギリスやフランスといった外国勢力が介入、日本は消滅、そういった外国勢力の植民地となっていたかもしれません。 (何度も書きますが、ヨーロッパ勢が植民地を拡大していた時代でした。) 勝海舟の凄さが伝わりますでしょうか! 最後に結論として、勝海舟の凄さを一言でまとめておきます。 勝海舟は、広い視点を持ち、世界の状況を的確に把握した上で、当時の常識に縛られず、「日本のため」という広い視点で行動した。 幕府とか、藩とか、色んな組織があるなか、「日本」を見ていて、実際に日本の危機の回避に大きく貢献した。 以上です。 勝海舟の凄さについて十分に伝われば幸いですし、こんな感じで、日本の歴史について楽しく興味深く読みたい、勝海舟や幕末の動きについてもっと知りたいという方に、是非 「逆説の日本史 19」(幕末年代史編) おすすめします。 この本は、歴史の教科書では見えてこないドラマというか、凄さが伝わってくるのが、読んでいてとても楽しいです! また、『現代の常識を離れて当時の常識で考える』という当たり前のことが、実はどれだけ見落とされているか。 この本は、そこを意識して、歴史を紐解いていってくれているので、改めて凄さが分かって…歴史がすごく間近に感じられて、知識としてだけでなくて、まるで映画のように感じられて…とても面白いです。 (ちなみに、この「逆説の日本史」はシリーズもので、2020年7月に「逆説の日本史 25 (明治風雲編日英同盟と黄禍論の謎)が出版されています。で、今回の勝海舟が生きた幕末の時代が描かれているのが、18巻から21巻あたりまでありますよ。 途中から読んでも大丈夫です。) おすすめです! 勝海舟とは何した人?江戸城無血開城と徳川家名誉回復 | 天水仙の蛙奏美(a-so-bi). - おすすめ本