みんな 違っ て みんな いい 本当 の 意味
「みんな違って、みんないい」 あなたもこれまでの人生の中で、少なくとも一度はこのような言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか。 特に近年、日本でも急速にグローバル化が進行すると同時に「共存する」という言葉もよく耳にするようになりました。 このような言葉の背景には、 「この世の中に絶対的な正解などはない」 「自らの価値観を相手に押し付けることはいけない」 「みんながお互いに意見を尊重しあって、共存していくべきだ」 といったような意味合いが込められていることが多いように感じます。 しかし、この言葉。 なんだか違和感を覚えることはありませんか? まるで私たちはお互いに分かり合えない、また分かりあおうとしない理由を、文化の違い、価値観の違いだと一括りにしてしまっている。 なんでも 「価値観の違いだ」 と一言で片付けてしまうのは簡単ですが、一歩間違えるとこれは相当危ないことではないでしょうか? 完全に周りの意見を受け入れることをやめ、個性というものを履き違え、おかしな方向に向かっていってしまう人々。 そのような人々が、今後日本において急激に増えていくのではないかと懸念しています。 近年、Youtuberの登場とともに、 「好きなことで生きていく」 という考え方が流行しましたよね。 これも少し考えてみると、 結構危ない考え方じゃないですか?
- 「みんなちがって、みんないい」「変えようとしない」支援をする | 【AISES】学校教育開発研究所
- 「みんな違ってみんないいっていうのは、その人と同じ課題を共有すること」落合陽一氏が語るコロナ禍で前進するダイバーシティ|@DIME アットダイム
「みんなちがって、みんないい」「変えようとしない」支援をする | 【Aises】学校教育開発研究所
金子みすずの有名な詩 「 わたしと小鳥とすずと 」 をご存知ですか?
「みんな違ってみんないいっていうのは、その人と同じ課題を共有すること」落合陽一氏が語るコロナ禍で前進するダイバーシティ|@Dime アットダイム
英語ができるようになって自分の意見を言うことが当たり前の環境になると、もちろん「みんなちがってみんないい」の世界になってきます。すごく楽なんです。 究極的には、もう知らず知らずのうちに慣れてしまっていた、「周りが同じものを頼んでいるから自分も同じものを頼むこと」。 こういう小さいことまで自分の好きにできるようになってきます。 周りがビールを頼んでいても、自分はホットチョコレートとチュロスを頼むことができるんです。笑 20人が「そうは思いません」と言っていても自分一人だけ「そう思います」という事ができます。 さらに、 「こんな状況で意見をはっきり言う人ってかっこいいな」 と思ってくれる人もいたりします。 「みんなちがってみんないい」を大きな枠で考えると生き方が楽になる理由 さらに大きな枠で考えるようになると、学校に行かなくてもいい(もちろん義務教育は義務ですが)、大学卒が偉いわけではない、学歴が第一ではない、「仕事=会社に行く」ことではない…こういうことが平気で実現するようになります。 楽ではありませんか? もちろん、仕事をしなくてはいいわけではありません。 生活をするためにお金が必要ですから。 でも、20人のうち19人が当たり前と思っているようなことがすべて「正しい」訳ではありません。 これを英語にあてはめて考えてみると、「英語は才能がないとできない」とか、「年齢期にもういいや」とか、「自分はいいや」「初心者を抜け出すには1年はかかる」と思っている人は全人口の7割以上です。 TOEIC700以上の英語力を持っている人は人口の3割程度なので。実際に「英語をしゃべります」という人はさらに少ないのではないでしょうか。 でも、「初心者を抜け出すには、3か月もかからない」「日本語が話せる人なら英語は誰でもできる」「あなたの意見が一番大切にされる世界がある」と思ったらどうでしょう。 非常識だと思いますか? 今回は、「みんなちがってみんないい」というあなたの個性を英語で言うと人生が変わる理由を書いてみました。 お役に立ちましたら、是非メルマガでも繋がってください^^。 投稿ナビゲーション めちゃめちゃスゴイ記事めっけました。 響きますよ。いいですよ。 何回でもリライトして、検索の上位に持ってくるべき内容です。 勢いでコメント残しました。失礼しました。 ひろのさん、コメントをどうもありがとうございます(^^)。 早速リライトしようと思います♪ ひろのさんはブログやTwitterをされていないのですか?もしされていたら、私も訪問させて頂きたいので、是非教えてください(^^) ではでは(^^)。 え!うそーん。 今それ(笑)なんからしいわっ。ど天然で!
落合氏:ダイバーシティでいうと、コロナ禍で逆に、いろんなハードルが下がったと思います。コンピューターを介してのコミュニケーションが当たり前になって、コンピューターへの話し方が上手くなった。音声文字認識の精度は明らかに上がったし、僕自身、聴覚障がいのある学生としゃべるスピードが早くなった。視覚障がい者も以前ほどはハンデを感じていないかもしれない。全員の耳や目が一度コンピューターを介するという同じ条件に揃ったことで、認識するテクノロジーを入れやすくなった。身体の障がいがある人や高齢者も、移動が少なくなればハンデは少なくなりますし、キャッシュレス、通販デリバリー、デジタルトランスフォーメーション、大切なことです。 例えば、フィジカルな会議をやるにしても、ひとりリモートの人がいたら、ビデオ会議も一緒にやるという選択ができるようになった。これは重要な一歩だと思います。条件が異なる人がいたら、デバイドがある側、マイノリティー側へ揃えた方がいいということが、少なくてもデジタルではみんなそれがわかってきたと思う。言い換えれば、ダイバーシティって何かっていうことが、本質的にわかるようになってきたということです。これは大きいと思います。 ──コンピューターを介した認知の進化にはAIの貢献がありますが、今後私たちがAIと向き合っていく上での課題は何だと思いますか?