看護 の 専門 性 と は
そして『再現性』とは、 同じような状況なら繰り返し同じ結果が出せる看護、 状況が違っていてもある程度同じような結果を出せる看護、 という意味で使っています。 素人が行き当たりばったりでやってみたらうまくいったとしても、 次もうまくいくかどうか疑わしいですよね。 『エビデンス』に基づいて『再現性』をねらった看護を『確保できる』のは、 体系的に基礎を学び、基本型を身に着けたからこそ備わる力だと思います。 私たち産業看護職は少なくとも3~4年間、 看護を専門に学んで基本型を身に着けてきましたから、 そこにもっと自信を持てばいいんだと思えるようになりました。 そのおかげかな。 例えば保健指導の場で、対象者に、 「あんたはそんなことも知らないのか」という顔をされても、 「あなたには経験がないからわからないでしょ」と言われても、 もうヘコまなくなりました! (笑) もしあなたが、自分の看護の"専門性"に不安を感じているようなら。 例えば、自分の言葉で、 自分の看護の"専門性"を表現できるようにしてみてはいかがでしょうか。 最初は不完全な表現でも構わないと思います。 誰かからの借り物の言葉ではなく 自分の言葉で表現してみると、 見える世界が変わりますよ。 (^▽^)/ 私が考える専門性、『エビデンスと再現性を確保できる』保健指導を目指して、 今までいろいろな試行錯誤をしてきました。 そして、教科書的な基本型と現場で使うための今田流のアレンジを織り交ぜた 一つの形<自分らしい保健指導>ができました。 その内容をお伝えする新しい講座を準備しています。 詳細は今月中に公開予定です。 それまでの間、こちらはいかがでしょう。 ↓ ↓ ↓ 記事の更新をSNSでお知らせしています。
看護部ブログ|看護の専門性って?シンポジウムのご報告
看護師の専門性とは一体なんだろうか? 医療においては、全ての職種の上位互換が医師であり、それは揺るぎないもので、法的にも、レベル的にも、完全に上位互換である。 そして、そんな医師と(殆どの場合において)1番近くで仕事をするのは看護師だ。 看護師の専門性とはいったい? 考えてみるといよいよ分からない。 よく看護師の専門性を議論するときに 「患者さんの心に寄り添う事が…」 と言われるが、果たしてそれが専門性であろうか? それは看護師に限ったことではないはずである。 勿論、患者と1番(物理的に)長く側にいる看護師が、 "特に" その役割を担うことは重要ではあるが… それに、 "(物理的に)患者の側に居る時間が長い" のは 「看護師の手柄ではない」 のではなかろうか? それは現行の仕組み上そうなっているだけであって、 つまり、 「看護師が患者の側に長く居ることが出来るのは、看護師に特別な知識や経験があることに起因するものではない」 つまり(非常に攻撃的な表現をすれば)、 「仕組み次第では"誰であっても"患者の側に長く居ることは可能」 であるはずだ。 だとすれば 「(物理的に)患者の側に居る時間が長いから患者の心に寄り添うことができる=専門性がある」 というロジックには無理がある (そもそも「患者の心に寄り添い~」ということを看護師の専門性とするのが適切かどうかは、controversialな問題ではあるのだが) では、看護師の専門性とは一体何だろうか? 長尾は 「プロフェッショナルは職業領域における従事者たる諸個人を指すと説明している. また, プロフェッショナリズム(専門性)とはプロフェッショナルに特徴的に見いだされる固有の職業的活動への取り組みないしその遂行に関する共有の志向を意味する」と述べている。 しかし、 この長尾の定義してるものを "専門性" とすると、 「専門性に能力は考慮されない」 ということにもなりかねないように思う。 やはり、医師や科学者、法学者、聖職者なとが "専門職" と呼ばれる所以はそこにあるはずなのだ。 即ち 「非代替性」 である。 「他の人には出来ないことが出来る」 つまり、 「他の人にはもっていない知識・技術・経験」 があるからこそ、 そしてそれが、 「容易に習得できるものではないからこそ」 専門職なのだと感じるのだ。 「看護師にだって専門性が~」 と言ったとて、それを "看護師だけ" が実感しているようでは不十分で、 あくまで他者が 「これは自分には出来ない」 と感じることが重要であると考える。 氏家は現在の専門職の該当条件を 1.
認定看護師認定審査に通る ・A課程認定看護師教育機関を修了した者に対する認定審査は2029年度をもって修了 ・B課程認定看護師教育機関を修了した者に対する認定審査は2021年度から開始 5.